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雪月花名香合之記
雲月花名香合之式
抑此式は、雪月花の時節に玩ぶ香式也、席の室礼は、其亭の催によるべし、大略奥に記す、見合べし、或は亭主の方より、香お左右に分けし銘おかくし、左右の勝負おわかつも有之、時宜によるべし、初お左とし、後お右として、一番の左右、二番の左右と分つべし、勝たる方も点すべし、或は十番廿種、或は五番十種、又三番六種にもすべし、香聞終りて、執筆の人草案して、方人多き方お書付ていだす、上客宗匠の人、香銘お考、其名に相応したる題お出して、探題にして歌およむ、詩作お好む人は詩お作り、連歌お好人は発句すべし、方人多き方お勝として、其勝たる香銘計によそへて歌およむ事也、各短尺に書付出すべし、執筆の人請取、記錄認むべし、
左右勝負衆儀一同之時、左右の銘書付出し、又左右一決難成時は、一座の宗匠の詞に任すべし、室礼之事、花の会には花お生ざる事也、縁側の障子おひらき、庭前の花お見すべし、香盆乱箱飾常の式法お持て作意すべし、志野包香袋香筥香筋立炷空入火取等見合にかざる、雪月花共同事なり、月の会にも障子お開きて月のさし入比香お催すべし、月花には香幕香屏風等お可置也、雪の会には障子おしめる事、始は寒きに付、先障子おさして、埋火等お置、香終りて障子おひらき、しばし置て雪お詠め、歌お詠ずる也、〈○中略〉客出香の時は、初に香お亭主へ渡し、香包に出したる人の名香銘隠し銘にて打交、香筥に入置べし、棚物等は座席の室礼によるべし、又御厨子其外置棚物は見合次第の事也、棚のかざり置合は、座飾お以て室礼すべし、主客とも能々申合事肝要なり、
月日
右此雪月花の式は、天文年中、西三条殿右大臣公条公、其比御出家被遊、御法名称名院仍覚入道殿とて、御閑居之砌、御出作被為成し御式也、然ども無程御大病に而、永禄元年十二月二日薨去に付、未其式不行、其後元亀二年之比、御嫡子右大臣実世公絶たるお継、此式御催被遊し処、自元名香合之式は、其香お記分て考へ、或は衆儀判の詞等に至迄、勝れて功者之人々も容易に難催事也、増て此雪月花の式は、月雪花の折柄被相催し御遊の一興なれば、一道堪能不成人々も多に付、名香合之式抔御催にても、其式難調、却而不興にも有之に付、右名香合之式お唯常の炷合にて御催可有之、御作意有之、其式は左のごとし、
雪月花御炷合之式
此式は、雪月花遊宴之砌相催す式也、猶兼約不時の催は、時のよろしきお用ゆべし〈○中略〉
天正元年夏五月 蜂谷宗悟在判