[p.0347][p.0348][p.0349]
香道真伝

十組之習
古へ十組香と名けしは、十炷香、花月香、宇治山香、小とり香、郭公香、小草香、系図香、十炷焼合、源平香、鳥合香也、近代米川常白十組お改、郭公香、鳥合香おさりて、矢数香、競馬香之二組お入、系図香お補ふて源氏香とし、源平香お改め名所香とし、十炷焼合お変じて連理香となし寔お十炷香と名つく、所謂十炷香、宇治山香、小鳥香、小草香、競馬香、矢数香、名所香、花月香、源氏香、連理香也、右十種香お撰して曰組香限なし、此十組にて足、余の組香聞べからずと定む、然れども初心の稽古事閑なる故に、常白男玄察、其弟子蜂谷宗栄とはかりて、古組香之内より卅組おえらび、並盤組十組おより、外組と名づけ、十種香と共に五十組となしぬ、〈以上了古斎伝による〉古組は皆やんごとなきかた〴〵の組給ふ事にして、した〴〵の組けるは希也、しかも五十組の外、古より伝はれる数、百組だに聞べからずといへるに、近代新組おなし、梓にちりばめ給ふかた〴〵有、其組珍らかにじて、古組にもまさりたるやうなれど、常白十組に定られしお、玄察宗栄補ひて五十組になし候だに、十種に定めしよりはおとれり、況や新組は今しも上々様ならばしらず、下々の憚もなく組事にてはあらざらん歟、好子十種香の内にも、尚十炷おのみ愛して、幾組も〳〵聞也、然れども折にふれては珍らしき組香も、又一興ならん歟、〈○中略〉
十炷香 夫十炷香は、組香の発端也、無試有、有試有、十種香に定め入しは無試也、或曰無試は志野流、有試は相阿弥流と、此説非なり、有試無試ともに、其濫觴は一〈つ〉也、秘説たる故あらはしがたし、古しへは十炷香お以て十種香といへり、されば栄松覚書曰、十種香之文字、種とも又炷とも書り、炷の字は後人の了簡と見ゆ、宗信の時代、皆種の字お書れたりと雲々、〈栄松尼は宗信の女にて、主水何某之室なり、〉是古しへ種の字お用し証拠なり、然れ共此時炷の字間々行はるといへども、栄松尼も其ゆえんお知り給はざると見えたり、当時之香人皆十炷香に種の字お書るは、古今、世俗の誤と思へるは非なり、十種香お炷の字に改られしは故有て、隆勝西三条実澄公お以て〈号三光院殿、実隆公之御孫、〉十種香之濫觴お内奏し給ひし比、勅して炷の字お賜ふ、是より初而十炷香とよぶ、〈但十炷の訓習あり〉其子細知る人すくなし、其後米川常白十組お改られし比、組香の名お十炷香とし、十組の総名お十種香と名づく、其末流是にしたがふ、