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槐記
享保九年十月十七日、夜参候、〈○中略〉御前へ罷出、〈今宵御玄猪御祝儀、(中略)追付十炷香初る、別記、〉二組、〈初香本於秀御娘、後香本吉岡御娘、〉御前〈○近衛家熙〉 吉岡 於秀 道安
十炷香之記〈一春の山辺 二くれない三竹の葉 う山かは〉
三二一三三う二二一一
牡丹 一一う三三(ヽヽ)二一二(ヽ)三二三
梅 三二(ヽヽ)う一一三(ヽ)二二二三三
桜 う二(ヽ)二二三一一一(ヽ)三三
萩 二う一三(ヽヽ)三一一二(ヽ)二三
十月十七日夜
十炷香之記〈一雪 二月 三花 う冬〉
三う一一三二二三一二
牡丹 三(ヽ)一二一三二二三(ヽヽヽヽヽ)う一六
梅 三(ヽ)一二二う二(ヽ)一三(ヽ)一三四v桜 一二一一三二(ヽヽ)う一(ヽ)三六
萩 三う一一三二二三一二(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)拾
十月十七夜
ふゆ 玉づさ 二種拝領す〈御香包並銘書公御染筆〉香の半ばに川音につれて千鳥の諦て飛かふ、最興あり、千鳥は香お好むもの也、水辺にて名香おたけば、千鳥多く集るの由仰なり、 十一月二十四日、十炷香の法と雲ことは近代のこと也、消遥院時代このかたなるべし、薫物おきヽくらべたることは、日本にてはいかう旧きこと也、 十二年正月二日、昔し無上方院の御時よりして、今日御香初めなり、例にまかせて遊ばすべき由にて、御香二座あり、仰に再則是可也とは、何にも通用すべきことなり、別して香なども、つと嗅たる時、これは仮令ば一の香なり、三の香なりと思て、再び思惟すれば極て違ふものなり、擬疑すれば種種の香にうつるものなりと仰せらる、