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嬉遊笑覧
十下/飲食
茶式の起りは僧家より伝れば、其式も宋の徳輝が百丈清規などに本づく、塩尻に妙心寺再住開衣の会お見しに、祝詞畢て饌お設け、後餅果おすゝめ、これお徹して濃茶お出す、数十輩の僧なれば、一椀にて茶お点じ、五六人して次第に喫しぬ、しかして立て、主賓揖し堂お下りかへる、今濃茶といへば、必一椀お数人して喫ることゝ思ふは拙し雲々といへり、俗説贅弁に、筑前国崇福寺の開山南浦紹明、正元のころ入宋し、径山寺虚堂に嗣法し、文永四年に帰朝す、其頃台一かざり、径山寺より将来し、崇福寺の什物とす、是茶式の始なるにや、後台子お紫野大徳寺へ送り、又天竜寺の開山夢窓へ渡り、夢窓この台子にて茶の湯お始め、茶式お定むといへり、