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貞丈雑記
六/飲食
一伊勢家は東山殿〈○足利義政〉時代の礼法の家なる間東山殿の茶の湯の法式伝るべしと、世間の人の雲は推量違ひ也、慈昭院義政公、応仁の乱にて、世の中さわがしきによりて、東山に隠居し給ひ、さびしさのなぐさみに、御手づから茶お立て近臣に給ひしと也、将軍の御手づから立給ひし茶なる故、一椀の茶お一口づゝ呑て廻し頂戴しけると也、是は茶坊主のするわざお、御手づから時のたわぶれにし給ひし事にて、法式などお定められしにはあらず、されば我先祖伊勢守などうけ給りて、諸士に教へ指南する程の事にてはなかりし故に、茶の湯の法式と雲事、家の旧記にはなき也、今時数寄道と名づけて、こと〴〵敷式法お立て、秘事口伝多く、大事の習事とする様に成たるは、東山殿よりはるか後、秀吉公の代、天正年中の比、千利休と雲者の仕出したるお、又其後片桐石見守、小堀遠江守などいふ人、色々の事お付添て、各流義お立て、遠州流、石州流などゝ雲也、大名などゝ人にいはるゝ者、わざと貧者のまねおして、いやしげにせばき庵お作て、数寄屋と名付、かけ茶椀のよごれてきたなげなるに、色々の古道具あつめ、客も亭主も無刀になりて茶お立て楽とする事、武士たる者のすべきなぐさみにあらず、おろかなる遊事也、