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太閤記
十五
大明之使於船入之地秀吉公催船遊事
二人の勅使、〈○明使謝用梓、徐一貫、〉並蘇西堂船中にて御約束し給ひ、翌日六月〈○文禄三年〉十日の朝、山里において御茶給りぬ、露地には色々の菜園などもあり、ふもとの里おのづから物ふりて、諸木枝おつらね、岩つたふながれもいとすゞしく、山里の名に応じ、そのさまつきぬ、
一四畳半之御数寄屋飾之次第
一玉澗帰帆之絵 一細口之花入 一新田肩衝
棚之飾
一茄子之茶入 内赤之盆に在 一台天目 一釜一えんおけの水指 一水こぼしがうし 一象牙の茶杓
みづから御かよひ物したまへば、いづれも不言の唇のみにして感じあへりぬ、即御茶も手づから点し給へれば、其様おつくし、かたしけなく存ずる体、異国人のやうにもなく、今世佳名の風に見えて、そしる所もまれなりけり、
一五畳布のくさりの間 一玉澗枯木の絵 一蕪なしの花入
一富士香炉 一肩衝なげづきん
一勝手のかざり
一せめひほの釜 一いもがしらの水さし 一茶入尻膨 一井土ちやわん
此間にては、諸侯犬夫の衆も茶堂友阿弥に仰付られ、御茶済々たまはりぬ、