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台徳院殿御実紀附錄

完永六年九月二十日、西丸山里にて口切の御茶ありて、大猶院殿〈○徳川家光〉にも渡御ありて、おなじ廿二日、又諸大名お山里へめして御茶下さる、その折しも紀水の両卿は、御けしき伺のため西城へまうのぼられしが、山里へ成らせられし後なれば、しばし還御お待しめらるゝに、大猶院殿また渡御ありければ、両卿まづ見え奉らる、とかうして山里より青山夫蔵少輔幸成御使して、過し二十日ならせられし時は、空打しぐれて、ふじの山さだかならぎりしお、いと名残多くおぼしめすに、けふはいとよく晴わたりたれば御覧あるべし、よて御鏁の間にて御茶進らせらるべければ、両卿おも伴ひて渡らせ玉へと仰ければ、則ち両卿お、伴ひて山里へ渡御あり、露地数奇屋など御覧の後、鏁の間に入せ玉ふ、やがて御みづから茶お点じて進らせらる、大猶院殿いたゞかせ玉ひし後、両卿に賜はりおさむ、後の炭は大猶院殿あそばされ、事はてゝ富士御覧あり、〈○中略〉とかくして時刻うつり、黄昏に及びて大猶院殿還御ありければ、諸卿も恩お謝してまかでられしとぞ、