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槐記
享保十一年正月廿五日、参候、近日はれなる夜茶湯に参ることあり、然ども御流の茶主にてこれなく、客になりての致しやう、心得なきことにやとうかヾふ、仰に、〈○近衛家熙〉さして別のことはなけれども、今は昔のやうには大に、替りたることあり、第一の心得には、外より見入たるとき、数寄屋の窓障子の明りのとりやうに気お付て見べし、此亭主の上手下手の大いに見ゆることなり、窓ごとに必ず、掛戸、はあることなれども、是非に一方は明ることなり、これおいきだしと雲、上の窓お明ることもあり、下の窓お明ることもあり、月夜と暗との違もあり、月のさし込処などへ、灯の明にみゆるやうにすることは、大にあやまり也、前かど宗巴に、夜の茶お仰付られしときは、窓ごとの戸お残らず掛たり、訳こそあるらめと仰らる、手燭おも今はともしながら障子の外に捨置て、勝手より取るやうにすることは、先第一の不用心なり、風などある夜はあぶなきこと也、露地によりて、あしく戸おしめて入がたき処もあるべし、古へ常修院殿〈○慈胤法親王〉などは、究て戸の外にて、下客の手水つかひ仕廻お待て、燭お持て御入ありて、掛物などその燭にて見まはし、下客その手燭お亭主の出てとりよき処に直しおきて、火お消すべからず、 十二年三月廿一日、参候、夜の茶は、画の茶とは各別、何とかあしらいあることにやと窺ふ、仰に、さまでかわりはなし、今のお見れば全く同じ、隻灯籠の火のかげんと、手水鉢にぬきすおかけて置ことヽ、手燭のあしらいなり、手燭なしに庭あかり、にじりあがり、それとしらせの灯の影、これ一つなり、客もぬきすお半分あけて手水つかふべし、あとお又かけて置ことなり、今は、ぬきすの沙汰なし、〈前かどの御噂に、夜は正客も相客おまちあはせて、内ろじくらからぬやうにして、内へ入てもまちあはせ、手燭お入させて、床のかけものも、かはり〴〵に見て、下座の人、勝手口へ手燭おともしながら、柄の方お前にして直しおく、今の人は外にてとぼしおく、風などの吹か、若客が中戸しめれば危きことなり、○中略〉 夜の茶に、前に薄茶お立ること、必しもと雲ことにあらず、御前〈○近衛家熙〉などは、終に其式に御あいなされぬこと其筈なり、いつもた御膳後など、ふと催なれて、迚のことに、夜食は囲居にてとあるやうなことも、是非御相客ともに揃はせられて入らせらるヽなれば其式なし、下々など、客の遅速などありて、格式ばかりのやうなれば、会席も早過て興なきものと雲から、前に咄などある為に立ることもあるべきことなり、夜の茶には、香など一段よきものなりと仰らる、 霜月十六日、参候、夜会の茶湯に手燭お出すことヽ、短檠の置処とお窺ふ、今の人迎に出るには、手燭お持出でて、客の中立には手燭なし、これは如何に候や、仰に、それは御流儀などにはなきこと也、客の出るには、尚以て手燭あるべし、〈これに分けあり、奥に詳に記之、〉 先手燭は出し入れと、真のきり時と、此二つなり、先亭主手燭お持出でて客お迎ふ、客その手燭にて手水し、其燭お持ち入て掛物お見終りて、其燭お道具出す畳の真中におく、柄お主の方にす、兎角手燭お持つは、いつにても二つ足お持べし、手お持べからず、其子細は才に柄お持てば必ゆがむ、ゆがめば蝋ながるヽ故也、〈前かどの御咄に、手燭の柄は柄にあらず、やはり三本の足お一方はのばしたる物也と仰らる、〉亭主出でて其燭お入れ、相応のあいさつし、真おきりて持出でて炭おする、其燭の置処は、主の向の上に角かけて炉中の見ゆる様昌置こと也、扠炭お仕廻と又燭お入て真おきる、〈燭お一度々々に立てかゆるも仰山也、又初の燭ばかりにて、真おきるばかりにては短くなる、所詮二丁立てヽ置て取替るがよしとなり、〉膳お出しざまに、暗きほどに燭お出すべしと挨拶す、客の方より、幸に灯にて閑寂にて好し、燭に及べからずと雲へば不出こ下もあり、出さねば菓子の時は必ず出す、其燭お客持て出でて中立す、亭主むかいに出るには、別に手燭の真およくきりて持て出て、待合の手燭にかへて入る、中入の後の燭のあしらい、最前の初入に同じ、 短檠の置処は炉の脇の十一目、十二目、或は九目におくと申す説の候、とかく炉の檀の上に、灯影の半分のこる様におくと申すはいかヾに候や、仰に、灯お出すことは、全く炉の為にあらず、灯は座のあかりの為ばかりなり、手燭は全く炉の為ばかりにて、座の為にあらず、故に短檠のおき処は、一座のあかりよきと、給仕の邪魔にならぬ処とにおくこと肝要也、但し床の影のうつりお能々考ふべし、床の掛物お画にても、墨蹟にても、半分にきるヽお嫌ふなり、大軸のものにて、全く明りにならねば、一向に影ばかりか、一向に明りばかりかにすること也、 夜会の掛物は、大字のものか、とかくはきとしたる物お掛けて、燭ならでも見好き物おかくべし、食物なども其心得にて、骨なき喰好き物お出すべし、