[p.0412]
槐記続編
享保十八年十一月廿五日、参候、〈右京大夫、拙、○山科道安〉総じて跡見の茶湯と雲ごと、今も人のよく雲こと也、跡見と雲ことは、御成ならではなきこと也、今の跡見と雲ことは、今日御茶ありと聞し、御残りあらば参り度と雲の儀也、それ故今日のあとみと雲お、又一つ其儀あるべしと仰〈○近衛家熙〉なり、 古へ秀吉などの跡見と雲は、色々の名物お御成の為に設けたるが故に、此度ならで又見んことも難かるべしと雲心にて、御跡お拝見する心なり、それ故二三人にかぎらず、七八人のこともあり、そのときは礫次に立こととみへたり、今のは客の数も大かた極りあれば、茶の残りお所望する意なり、 跡見にて大勢のときが、重ね茶碗の作法あり、 茶後に参るは、極めて花が先也、菓子にても出して、而して掛物お持参し、掛物竿お持ちそへ、先の掛物にて候、茶具お調ずるの間に御かけ下さるべしと雲て、花お取りいるヽ、〈囲居の内の竿は、又別の制法あり、〉掛けやう、持て出やうに猶習あり、茶入はきはめてはだか茶入也、客もし袋おこへば、勝手より出してみすること也、 道具は極めてはこび茶の湯にすること也、その外仕やう共あること也、重ねて仰聞さるべしとなり、 掛物は、巻きながら床にかざることもあり、竿おそゆることもあり、此とき軸先軸本の吟味あり、