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槐記
享保十四年二月十八日、参候、今の人、風炉の茶に伽羅お焼ぬことは、心得がたしと、無禅が常に申しぎ、宗旦が応山へ参りて御物語お申し上げし序に、、風炉の茶は、いかほど出しけるにやと仰ありしに、宗旦が最早今一両度ならではならず候、伽羅がなくなりたりと申たりければ、夫こそとて伽羅お下されけるとなん、それほどのわび人にても、風炉には伽羅お焼けるに、今の人の、古金襴は愛して、伽羅おつけぼしに易ることは何ぞやと申しき、 五月十八日、風炉の茶湯には、亭主口の戸おたてぬことあり、此ごろの御茶にもたてられず、おぼえありや、先一つ羽の箒お出さんとして、先棚に三つ羽の箒おかざるときは、勝手口の戸はたてぬがよし、先出でて棚より香合羽箒お下し、釜風炉のまはりお掃て、その羽箒お勝手へ入れざまに、灰のほうろくに一つ羽おのせたると引かへて出す、その為に勝手お開きおくなり、先はあつき時分にて、開きおきても好し、羽箒の二つ、一場へ出ぬやうにとのことなりと仰せらる、