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槐記
享保十二年八月廿一日、参候、風炉の名残と申すことは、何とぞ其あしらいあることにやと窺ふ、〈炉の名残と雲ことはあり、風炉の名残と雲ことは先はなし、〉風炉の名残と雲へば、八月九月也、古より八月九月は、至極茶湯のならぬ時なりと、常修院殿〈○慈胤法親王〉も常に仰らる、八九月は、何としてむつかしきぞなれば、口切の用意に、庭おも道具おも直す時にして、口切に間もなし、至極仕にくき時也と仰らる、それは如何にやと窺ふ、常修院殿など毎度仰らるヽ、風炉は奇麗お第一として、凉しきおおもとす、八九月は新凉に、そのあしらいも仕難し、又炉の檬にもならず、其間お料理一つにも気お付べきなれば最むつかし、常修院殿の、瓢の花生おきりて下されし時に、是等など八九月によきものなり、秋の草花など入て面白し、ふくべなれば、炭取にさしあいて冬は出されず、水のならぬものなれば、風炉にも出しがたしと仰らる、