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槐記続編
享保十六年四月廿四日、参候、総じて茶の湯に、中立より衣服著易ること、初め花やかに、後しめやかなるか、初めしめやかなる物お著し申がよきことに候や、但しはじめはしめやかに、後花やかなるが宜候かと伺ふ、仰に、〈○近衛家熙〉夫は昔より咄のあることなり、厳有殿〈○徳川家綱〉のとき、病中に慰に皆々茶湯お申付られたるに、稲葉美濃守が中立以後、大小紋の衣服に花やかなる上下お著て仕たるお、人々異風なることに思て、此事お片桐石見守に咄せしに、石見守が雲けるは、そこが茶湯なり、必しもと兼て定られぬ処なり、今度の茶は、大樹の御慰に被仰付たることなれば、何がな珍敷ことにて、慰になる様にとの心得猶なりと被申し由にて、此時代の咄になりたることの由なり、此事お三菩提院殿〈○貞敬法親王〉へはなしたりし人のありしお、一門の仰に、それは合点の行ぬことなり、慰にならば左様の事にてなくとも、如何様にも慰様あるべきことなり、衣服お異風にしたてヽ慰になる様にと雲ふことは、茶の本意にはあるべからず、合点の行ぬことなりと仰られたり、総じて花やかなる衣服、しめりたる衣服と雲ことにはあらず、著替るは初めより給仕おし、花お生けなどして、けがれたる衣服ゆえ、茶お立るに臨て改め出んと雲ことなれば、衣服のもやうに心はあるべからず、猶所にも客にも場にも時節にもよるべきこと、著かへぬこともあるべし、必ずしもと雲ことにはあるべからず、