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細川茶湯之書

一昔はかならず外の廬路口まで亭主迎に出たれ共、近年は廬路の内、中のしきりくゞり迄来り、外のくちひらきて、供の者までも外の腰かけへはいりて、そこにてかみゆひなおし、衣裳おきる客人もあり、
一亭主むかひに出て、亭主よりなにとぞ申べし、其返事仕、此方は何とも不申、承はり一礼可仕事也、
一相客により先へは御免可被成候と勘酌可申、おなじくは中に有がよし、先には其日の道引也、跡は後見衆也、中は初心の人もよし、先人のまね功者にまかする事多し、
一廬路口まで上たびはき、少かたはらにてぬぎ、新敷せきだ手に持て、廬路口のはじめの石より、手にもちたるせきだはきかへ廬路入すべし、
一廬路の石の外の土おふむ事一切惡し、石によりてすべる事有、石の真中とく〳〵とふむべし、援かしこ見物する時は、立留りて見べし、あるく時はあしもとに心おつけべし、
一廬路へ入て声のたかき事いや也、又余さゝやき参るもいやなり、常の言おそろ〳〵とひきく申なり、
一朝夜ぶかならば行灯もちて出べし、その行灯お持て道お見て行也、夜会の時も同前也、行灯もつ事は、大略わかき者の役也、後に座敷の上り口、刀かけの見ゆるやうに、ろくにゆがまぬやうに、手燭同前なり、
一雪隠の内おかならず見る事也、但いつもさい〳〵出合ふ間には、めん〳〵主次第たるべし、一昼会夕会、又跡見などは、かならず手水おつかひて座敷へ入べし、