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槐記
享保十一年霜月八日、深諦院殿いつも上坐おつとめらるヽに、床にはつかず、にじりあがりの口に坐せらる、此席下坐ゆへなり、今日にかぎりて床につかせらる、いなことヽ思て窺しかども、〈○山科道安〉これがよからんと仰らる、〈○近衛家熙〉扠会席の出けるとき、床畳およけて平に向ふえなおられたり、初て感思けるは、今日の掛物勅筆なるが故に、床お上坐にせられたると見へたりと申上しに、猶さあるべしと仰らる、 十二年閏正月廿三日、御茶、〈○中略〉今日の御茶に、深諦院殿に坐のことおうかヾひしに、床お上坐にとありし故、初めは左やうに着しが、存ずれば給仕の為よろしからずと存じ、御断お申して下坐床の向に着す、いかヾと伺ふ、いかにも好し、当流の人は、勝手にかまはず、兎角に床お上坐として坐す、御流儀にはかまはず、何であろふと、勝手口お下坐にするとなへ合点すればよし、