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槐記
享保十一年正月廿八日、参候、先日の左典厩が茶に、一つの仕損じあり、気が付たるやと仰らる、〈○近衛家熙〉曾て気付申さぬよしお申す、花が欺冬のとうなるに、吸物にふきのとうは指合也、ことにふきのとうの花がいと珍し、余寒の甚しさに、未だ出べからざりしに、最こヽちよく開きたるお興に入て思ひしに、吸物にまで入たるは、沢山なりけるよと推量すと、昨日も如石と御うはさなされしと也、これ昌付て、古へ三菩提院殿〈○貞敬法親王〉と、昔し何某が茶に御成ありしに、会席の膾に、なめの軸お多くつかひたり、一段おもしろき風味也、三菩提院殿の耳に口およせて、晩の夜食に、なめおつかばねばよきが、こヽろもとなしと仰られしに、案にたがはず、いとも沢山に吸物にしたり、扠こそとて大笑したりと仰らる、
二月廿四日、御茶、〈深諦院殿、拙、○中略〉 御会席 御汁〈小鳥たヽき、青みに小菜小たたき、うどめ二切、うすふくさ、〉 御煮物〈豆腐お千葉の菊の形にきり、真中に鶏卵の黄みお、すいのごしにしてまきて、〉 御鱠〈せとの皿、鯛ばかり、防風けん、もりふけ、一方は平作り、一方はほそづくりにして、〉 御酒 青漆の重箱〈たいらぎ、焼て青ぐし、芝川のり、菱にきりて、〉 御吸物〈まて貝共、身四切、〉 猪口〈ねうるか〉 御菓子〈青もちおしやきん袋にして、むきぐり、〉盆〈肱力しの形の由、黒ぬりにして、うらより見て、茶台の穴なきやうのものなり、〉
十四年正月廿四日、春の茶の料理には、必青物おつかふことは、此流にいかふ大事にすることなり、〈いかさまにも、冬はこすごし、〉先年常修院殿〈○慈胤法親王〉の後西院へ御茶お上られしとき、冬ながら節分お過たるほどにとて、青あえお出されたるお、後ほど由もなげに問て見よと、仰ごとあたしほどに、茶後に尋ねしかば、常修院殿の後西院へ、内府〈此時公(近衛家賠)内府にてあらせらる〉の珍きことお尋られ候と申す、〈後西院目くはせして笑はせらる〉それはいかやうの義ぞや、今日の青あえは、何としてぞと問はれしほどに、春の茶にはあらずとか、あおあえとか、必青きものおつかふが習にて候と仰らる、大秘蔵のことなりと仰らる、〈いかさまにも、冬の料理にあらずば、勿論あおあえもこすごきものなり、又青きもの宅、菜より外はなきはずなりと仰らる、いかさまにも、春は若菜つむてふ、青きものははんなりとすべきと申し上ぐ、〉 十二月朔日、平五〈○平野屋五兵衛〉が茶湯に、余儀なきことにて三客の上へ、二客の押力けにて、二畳題目の囲居に五客ありけるとなり、加様の時は、たとへ、前かどよりの会席の物ずきありとも、一菜おも減じて、膳ぎりに仕まふ様にありたきものに候はずやと窺ふ、〈一亭一客のことお承りにしも、膳ぎりにし〉〈まふことあり、この格にて、〉仰に左もあるべし、