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南方錄
拾遺一
飯台はつくえの如くして、二人三人四人も、台一つにて食する、これ禅林日用の作法也、しかるお紹鴎、宗易、大徳寺、南宗寺の衆の茶の時、折々飯台お出されし也、一畳台目などは、あまりにせばき故出入成がたし、二畳三畳四畳、別而四畳半によし、茶立口の外に、今一つ口ある坐席ならでは、茶立口よりは出し入不好事也、亭主先台お座へかゝへ出し、ふきんにて清め、さて食椀にもつその飯お入蓋おし、下に汁の椀おかさね、如此客の数次第引、盆にならべはこび出て、台の上に上げ、汁次にて出す、さいも鍋にても又鉢にても出、其品次第の見合也、酒はなし、客の喰やう、別而きれいに喰べし、総而飯台の料理、ことさらかろくする事也、汁一つ、菜一つ、強て二つ、茶うけの菓子は是非出す、出しやうに伝あり、又一様は、食椀、汁わん、蓋、この三つおめい〳〵青染のもめんぶくさにつゝみて出し、もつそは寺にての如く、はちに入て運び出し、亭主めい〳〵客へくばる、客も椀お、出してうくる仕やうもあり、勿論飯台は、必々魚肉料理の時の事にてはなし、椀の蓋一も二も、菜の様子次第出すべし、