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茶之湯六宗匠伝記

一薄茶点る蒔、或人利休にとふ、初め小壺お出し、薄茶の時はたとへ類座、或は小大海、或は内海などは、くるしかるまじきかと思ひ侍れば、利休答ていわく、其は悪し、薄茶は貴人の御前御遊び被成ての事也、若座敷替りてならば、くるしかるまじきか、同座にて二度御茶まいらば、初は真なる故結構なる道具よし、後の薄茶は草也、物毎に真草行の三段あり、其にしだがわざれば物の品お失のふ、其上唐物も唐物計数多出すべからず、一種か二種かとの故人の式目也、殊更貴人など請じ申さば、左様の道具出してもくるしかるまじきかなれ共、作去茶入能て大海の類茶入程にあらずば益有まじ、又内海能ば、初の茶入お人々のさげすむべし、所詮片々はいづれやむべしと雲々、又或人京のじゆらくにて利休に問、某の持たる道具お初の度に出し、客遊び居て後に又薄茶たてん時、大海か内海お出し候はんやと問侍れば、利休の曰、初め瀬戸お出し、後から物お出し給はん事、たとへば貴人お申入て、百姓のもてなしおするに似たりと答られ侍れば、此人一言の返答にも及ばずと也、此人は世にかくれなき古瀬戸の茶入持にて、其一色の茶湯者と聞へ侍る也、又大坂にて古織公〈○古田織部正〉に問、初小壺お出し、後今焼のふりのかわりたる道具にて薄茶おたつべきやと問侍ば、古織公かれに対して、くるしかるまじ、其故は当代の人、何事もじやうずになれば、から物に取まぎらかす物也、我も人も出来物お所持する事なれば、新物の見事なるにて唐物おもどかれんよりは、薄茶の時花ぬり物吉、作去座おかへてならば、ふりの替りたる唐物お二度出すべきかと雲々、此吟味も利休の伝も同也、