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槐記
享保十一年極月十五日、参候、此ごろ坊城大納言の〈坊城俊将卿、権大納言正二位、学茶法於予楽殿下、完延二年正月朔日薨、年五十一、鷹司輔信公、号有隣軒、受茶法於慈胤法親王、後患眼疾、而愈嗜茶事、完保元年十月薨、年六十二、〉有隣君〈○鷹司輔信〉へ御茶申されし話お承りき、台天目の由也、〈意斎話に承る〉私の存じ候は如何あるべきや、猶ぞかし、有隣君は鷹司家の御連枝なれば、尊きことは申も愚かなれども、無位無官の御方也、坊城は大納言にて公卿也、若執柄の御方が、天子へ御茶お献上せば、いかヾすべきやと存ずると申上しかば、仰に、〈○近衛家熙〉さればとよ、今の台天目は、台天目の主意おとりちがへて居ると見えたり、其方はじめとした、貴人高位の人には、台天目にて茶お申すやうに麑えたるはあやまり也、台子に七飾りと雲ことありて、茶碗お三つかざる、茶筌、〈ちやせんのせにのせ〉茶巾、〈ちやきんのせにのせ〉茶入、〈盆にのせ〉棗と七つ也、此時も天目は台にのせてかざる也、総じて天目と雲ものは、尻すぼりなるものにて、台にのせざれば、茶お立ることも飲こともならぬもの故に、台にのせたるもの也、それ故に、天目にあらざれば、台に乗ることはせぬこと也、それおおろして、台天目だてにすることは其略也、故に昔の台天目立と雲は、名物の天目お所持の人は台天目お立る、天目なき人は台だておすべきやうなし、別に先の人お尊んで立ることにはあらず、丁ど盆だて唐物だての格にて、台天目だても又一格なり、御前にも終に御たてなされたることなしと仰らる、猶も昔後西院の御所望にて、常修院殿〈○慈胤法親王〉の台天目だてなされたるが、その後所望してならひ置かれたれども、終に出されたることはなし、御前には、文昭院殿〈○徳川家宣〉より進せられし、名物の天目おも御所持なされ、台も名物のお二つ迄御所持なされたれば、いづれ何時ぞは遊ばすべしと思召也、昔の人は、某には名物の天目ありて、台天目の茶湯ありとて、うらやみしこと也、私にいざとて天目立おすることにはあらず、世間流の台だての心持なれば、坊城の評は、其方が雲ごとくにたもあるべきかと仰らる、それに付、其方などが台天目だてお習ひしは、台はふくことかと御尋ありし故、其通り也と申上ぐ、茶碗はおろして湯すヽぎおするかと仰らる、其通也と申上ぐ、仰に、これも二やうあり、大事のこと也、唐物の台にても、隻の塗物は、やはり台にすえて湯すヽぎするがよし、組ものや、ぐりなどの台は、おろして湯すヽぎするがよし、それなぜなれば、ひよつ 湯が台の上にこぼるれば、何としてもふくことがならぬ器也、それゆへのこと也と仰らる、