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槐記
享保十四年十二月朔日、石見守へ渡御、〈○近衛家熙〉内府公〈○鷹司房熙〉拙〈○山科道安〉午半、〈○中略〉後の炭お道安に請はる、致すべきの由仰に因て置之、七つ半時還御、
内府公の御尋に、今日の道安が置たる炭はいかヾ候や、仰に、〈○近衛家熙〉今日のやうに亭主より客へ炭お請ふときは、二様の差別あり、道安が其心得なき故に仕やうあしヽ、先一通りは今日の如く、亭主のふところより釜しきお出して釜おあげ、さて炭おと所望するときは、炭おして後に亭主へ会釈して、亭主に釜おかけさするがよきなり、左なければ釜しきのおさめやうがなきものなり、又一通り、炭とりに釜しきまでおのせて出すか、客かましきお出して、釜お客があげたるときは、後にも釜おかけて退くが法なりとの仰なり、ありがたくも恐感じ奉るばかりなり、 炭のおきやうは、いかヾに候と仰ら声、仰に、亭主のおきたる炭おみだりに動かさぬやくにおくとばかり覚へてはちがふなり、亭主の力お入ておきたる炭は、うごかさぬやうにしたるが好なり、胴炭ばかりは、さして亭主の上手下手にも及ばず、是非ともに其場所ならではおかぬものなれば、是ばかりおいろいても、苦しからず、されども此炭が黒ければ、少しあおむけて火になりたる処お、上の方にして私の炭おおけば、格別にあらたまりて本意もたち、私の炭のかひもみゆる也、今日の道安が炭のやうにては、最前の炭とかはりなきやうにて面白からず、第一初手の炭と模様のかはるやうにすること第一なり、初後の炭も同じことなり、今日などの道安が白炭のあしらい、全く初と同じことなり、初に本にあしらいたるは、必ず標の方にし、初めに標にしたる方お、必ず本の方にするやうにあしらへば、自ら姿もかはるなり、さて炭は第一べたりとならぬやうに、いんがりとなるやうにおけば、おこりも早し、見聞もみごとなり、第一白炭のべたりとしたるは、何の詮なきものなり、いんがりとおくやうにすべしと仰らる、