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茶譜

一池田炭と雲こと、摂津国池田と雲所より焼出す、昔より此所炭の焼様上手也、池田炭は、第一炭性強し、依之湯の〓やうも外の炭とは各別也、性強ゆへ火も久不流、第二見物もきれいにて、又炭の香吉、如此成ゆへ、古より不捨して此炭お用来れり、
右池田炭引切様、成ほど目の細なる鋸お以た、少も曲ざるやうに引切て吉、まわし切にすべからず、切口惡し、皮の不損やうに引べし、則引切、其両切口お板にあてヽたヽき、引粉お払落して吉、其引粉残ては炉中火に逢て飛者也、又取扱其粉落てむさし、
一古田織部時代より、池田炭引切て、両切口お払て水へ入、茶筌の穂お以皮めお竪に洗て、日に四五日ほど干て仕之、然ば鼠くさい香も無之、又手にも不付、又炭の性も愈強し、其比大名衆は、其洗水へ薫物お入て洗ひしと雲、
一菊屋宗有雲、炭お洗は惡し、皮め離ると雲々、羽箒で払て吉と也、然ども之は宗有誤なり、皮め細にて竪焼た炭は、皮め離ること無之、池田炭に似た為、中炭は和にて皮めも荒し性も惡し、茶湯の用には不立、宗有は此田舎炭お見て雲しか、〈○中略〉
一白炭は、和泉国光滝と雲所より焼出で、又河内くに、さやまと雲所より焼出すお光の滝炭と雲説も有、猶さやまより出る炭も一段吉、光の滝炭は、鼠色に粉の有白炭也、焼色也、利休も光滝に増白炭は無之と雲し也、
右光滝は、ゆびの太さぼどにして小枝有之、或は二つに割も有之、夫より次第にほそいも有、其焼色薄白く灰色なり、
一古田織部時代の白炭は小枝有之、細い躑躅などお炭に焼て、胡粉お水溶て之お上へ塗故、其色白粉のごとし、小堀遠州時代まで用之人多し、然ども如此炭に胡粉お塗て白するは初心なり、焼色の光滝は勝たり、
一小堀遠州時代の白炭は、織部時分の胡粉塗のしら炭に、種々品お替て取合て用之、或は竹の小枝、或は松葉お手一束に結、或は松笠、如此色々の物お集て炭にやき、胡粉お塗、或は胡粉に墨お入て鼠色に塗、或は埋木の灰お塗て、赤土色して用之、偏に彩色人形お見るごとし、遠州以後は、世にも初心成物と知て不用捨る、