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槐記
享保十二年三月廿七日、参候、つるつきの茶入、てがめなどのあしらい、同前なり、和物の茶入は左にて取る、唐物の茶入は右の手にてとる、故につるつき、手がめ、右手にてとる方へ手お直すとの仰なり、〈○近衛家熙〉今の当流には、皆茶入の分は右にて取候と申し上ぐ、まことに左あれば、其論はなき筈也と仰らる、 十四年十一月廿日、参候、昨日の茶湯の御うわさとり〴〵なり、大茶入のあしらいのことお申上ぐ、仰に、朝日春慶の類は、大なるほどお尊ぶ、御前御所持のは、昨日の茶入に今二かさも大なり、それ故左の手にて横にはとられぬなり、大茶入にかぎりては、右の手にて上から鷲づかみにとるこどなり、これ習なりと仰らる、猶なる御ことなり、ななければはなはだ危し、それ故に唐物だての如く茶筌おはづすなり、左なければ茶、筌と茶入との間へ手、が入故なり、昨日の茶入には、まだ蓋が大にして茶杓がかけらるヽ、甚だ大にして蓋の小きには杓のかヽらぬあり、この故に大茶入には、茶杓のおき処なきものなり、それ故大茶入の茶杓のかヽらぬほどなるは盆にのせて、茶杓お盆におくがよきなり、此等のこと大茶入のならいなりと仰らる、