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槐記
享保十一年正月廿八日、参候、御閑にならせらるヽ間、夜まで御伽すべき由仰なり、〈○近衛家熙〉さまざまの御説の中、この頃の野村某が茶の噂お申上て、御流の者ゆえ窺ふにて候、てんめうの釜の尻張に、伊賀の水指の下にて、はりたるに、車軸の茶入に、長次郎がしおけの楽茶碗にて候よし、これは指合のやうに候、いかヾと窺ふ、仰に、亭主の心はいさしらず、其はあること也、結句一つ二つならば指合たりとも雲べし、加様にじろひたることは、好てもすること也と仰らる、表は宗和の二重棚に、ふヾきの茶入也、これはいかヾと窺ふ、仰に、それも亭主の心はしらねども、車軸の茶入には、ふヾき相応也と仰らる、〈棗目はかたつきの類也、口伝、〉 霜月十二日、棚に飾ること、強ち尊き物なるほどにと雲ことはなし、何に限らず飾る、茶入おかざることもあり、ふくべお飾ることもあり、是も折折同じことも興なき故也、されども一つかざり、三つかざりと雲ことあり、二つになり、四つになることお嫌、是はいかふ大事のこと也、人に語るべからず、水指の前に茶入お飾ることあり、脇へはづして飾ることあり、是にはいかふ訳あること也、釜ばかりは、常かざりとて飾付の外也、水指と掛物とばかりにては、二つかざりになる、其時は茶入おはづして飾れば、三つかざりになる、水指の前にかざれば、見通しになりて一つに立故に、茶碗ともにかざれば、道具は四つにて、飾りは三つに立つ、是甚だ秘蔵のこと也と仰らる、棚かざりに香合おかざるには、必羽箒おそへるか、環箒とか、香合箒とか、二つかざるも上に雲訳也、若し茶入とか、香合とか、一つあるときは、入ざまに箒お棚におきてはいる、是にてあとが三つになる、