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甲子夜話
四十四
予〈○松浦清〉が祖先天祥院殿の茶事に高名なりしは、今尚人これお知れり、然してこの殿より今に至て、宇治より年々摘上る所の茶銘お一の白昔と呼て、予が家に限る、この名義予も審にせざりしが、頃聞宇治の茶園に、一の畠と称して、茶お産する最上の地あり、これお殿の買求められて、其地お西村了以と雲し茶師に与へられ精製せられき、是より了以代々予が家の口切には、必ず茶壺に初昔後昔と共に、これおつめて送上りき、この昔と雲しことの廿一日の合字なることは、既に第三巻に雲へり、今茲お以て考れば、一のと雲しは一の畠のことお誉て、白は吾朝の俗写なれども畠の字の省文、昔は初後の日期の如ければ、一の白昔とは一の畠の廿一日摘と雲ことヽ始て知りぬ、又この一の畠の地、了以の末貧困して人に売る、然るに今復旧に回れりと聞く、因てしるす、