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茶器名物集
三帖敷は、紹鴎の代迄は、道具なしの詫数奇専とす、唐物一種成とも持候者は、四帖半に悉座敷お立る、宗易異見候、廿五年以来、紹鴎の時に同じ、当関白様御代十け年の内、上下悉三帖敷、二帖半敷、二帖敷用之、去ども珠光替は、わら屋に名馬おつなぎたる好と旧語に有時は、名物の道具、そさうなる座敷に置たる当世の風体、猶以面白歟、〈○図略〉
此二帖半の事、紹鴎の時は天下に一つ、山本助五郎と雲人紹鴎一の弟子也、其人に好て茶湯おさせられ候也、詫数寄也、〈○図略〉
細長い三帖敷、宗易大坂の座敷の写也、但道具物茶湯の後者は仕也、詫数奇初心なる茶湯のは無用歟、〈○図略〉
二帖敷の座敷、関白様に有、是は貴人か名人か、扠は一物も持ぬ詫数寄力、此外平人には無用也、又宗易京に一畳半お始て作られ候、当時珍敷こと也、是も宗易一人の外は如何、〈○中略〉山上京二、大坂の座敷、細長三畳じき也、右座敷の指図六つ仕候、此外作事は百は百ながらちくちく替者也、当世は大形此一書の通歟、〈○中略〉
一二畳半、三畳敷、細長三畳敷、大方同作也、少づヽ替事は作次第、