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茶道筌蹄

小座鋪之部四畳半已下お小座敷といふ、四畳已下は初後とも坐掃おなす、四畳已上は道具畳計坐掃おなす、猶はきこみなし、皆坐はきおするときは騒しきゆへなり、囲の始りは、珠光東山殿正寝十八畳の間お四つ一と分かこひたるが濫觴なち、其後紹鴎六畳おこのみ、夂四畳半になすなり、道幸おつくるは利休形なり、
四畳半畳之名所 紹鴎好の四畳半は、二枚障子にて、左右にまいらあり、張壁なりしお、利休居士塗壁にして、塗残し窓お明〈け〉、くヾり口お付る也、〈○図略〉
二畳台目 少庵京師二条に住居の節初めてこのみ、中柱お入、台子の形お残したるゆへ台目といふ、夫ゆへに羽箒お置に、直に置くは真のあしらひ也、当時は通じて利休形といふ、
猶此席の事は、少庵利休相談の上好なり、此席に利休通口おはじめて好む、是は太閤御招のため也、此通口おむかしは禿口といふ、
一畳半 少庵好の二畳台目お見て、あまり自由過るとて、利休居士一畳半おこのむ、居士其頃一条通葭屋町に住居の節は、四畳半と一畳半との小座敷なり、一畳半に床おつけしは原叟好也、今長者町天王寺屋の下屋敷にあり、猶入床にして畳あり、
一説に一畳半に板床は宗旦このみなり、大徳寺中芳春院にあり、
二畳敷 利休好なれども勝手あしきゆへ、向お小間中切落し一畳半おこのむ、猶此二畳へ八寸の中板お入るは啐啄斎好也、
二畳向板 吼翁好
二畳中板 如心斎好
一尺四寸中板入炉切也、猶上〈げ〉台目、
一畳半中板 一翁好江岑一翁両人相談の上好、猶風呂先ぬり廻し、板巾八寸、又中板入台目切、
三畳敷 江岑好、壁床也、
三畳台目 織部好
三畳四畳五畳六畳までも、台目切は皆織部より好始る、今三畳台目薮内にあり、是も織部好、三畳向板入るゝは啐啄斎也、利休の一畳半と、江岑の三畳とお合て啐啄斎好まるゝといふ、
長四畳 元伯好
大徳寺見性庵にあり、上〈げ〉台目なり、
不審庵 少庵本法寺前へ変宅の節、利休居士の遺図によつて建らる、〈○図略〉
四畳台目 織部好、総じて四畳半、二畳台目、一畳半、此三座敷が小ざしきの濫觴也、其余のこのみは、此三座敷より変じて来るなり、
但し広間は、四畳半已上おいふなり、