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紳書

本朝茶湯之事、茶寮おも数寄屋と称したり、是は定りたる法制有る事ぞかしがこいといふは芝かるべき所お引かこふ故に称すと雲々、紹鴎迄は四畳半にて、天井は鏡天井にして、柱は角にて、間に合の紙にて壁お張て、床も一畳の床なりき、利休に至りて丸柱お用ひ、赤土の壁にて腰ばりおし、天井も半は有之、半は屋根かはらお見て、つき上げおして、座席およろしき程に日の光おうけぬるやうにす、にじりあがりなどお付たり、此時迄は台目といふ名は定まりしにや、二畳半、一畳半のかこいなど有し、されど其弟子古織〈○古田織部正〉に至て、台目の名は出たり、宗羽按ずるに、台目といふ事、其説分明ならず、但し利休迄は炉の茶立る事にてはなかりき、古法こと〴〵く台子お用たり、しかるに古織に至りて、台子おとゞめて炉にて茶立るに、彼台子お飾りしほどお切りて捨て、其余る所にて炉おかまへ、又床おもつゞめたり、総て茶の法に畳の目お以て度とする事なれば、台子のたけの畳目おたちて捨て、其余お用る故に、台目とは申すと存ずると雲々、