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長闇堂記
一我〈○久保利世〉庭前七尺の堂の起は、東大寺大仏再建の聖俊乗上人の影堂お、中井大和守改かへられし、その古き堂とて面白きものなれば、去人に申請て、前栽の中に移つくろひて茶所に用たり、堂のうちわづかに方七尺、其内に床あり押入あり水屋有て、茶具お取入、床に花掛おして、押入床お持仏堂にかまへて、阿弥陀の木仏お安置し、客に茶湯出せどもせまき事なし、鴨長明は維摩の方丈お学て隠居り、人に交らざるお楽しみ、隻一筋にみだおねがへり、我堂は方丈にたらずといへど、余多の人お入て茶湯せしなれば、浄名居士の獅子の坐には協へりとそ思ふ、何ぞ長明お求んや、但弥陀の木仏は幸に俊乗の古堂なれば、似合しく思て安置すといへども、我更に弥陀お頼んとてはあらず、俊乗は法然の弟子たりといへば、上人の礼義おなせるのみなり、
江月和尚江戸にましませし時、此堂いとなみしまゝ、便につき御文奉りし次に此事おのべて、此阿みだへ狂歌に、
せまけれど相住するぞあみだ仏後の世たのみおくと思ふな、といひしお書付て送りし御返事に、やさしくも詩歌お以て答給へり、観音は同坐とこそは伝しに相住居するみだはめづらし
尽大三千七尺堂、堂中同坐仏無量、自由一箇自然楽、今作西方古道場、
然に小遠江殿〈○小堀政一〉或時援にましませしに此事お語、額一つ書て給はり候へと申せば、打咲給ひ、さらばとて長闇堂三字お書付給へり、いかなる義にて有ぞと問申せば、昔の長明は物しりにして智明かに成故、明の文字協べり、其方は物しらずくらふして、しかも方丈も好めるによりて、長の文字おとり、闇は其心なりと笑給へり、去程に七尺の堂おさして長闇堂と名付、長闇子お我表徳号となせり、