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槐記
享保十二年三月十三日、参候、此程大徳寺へ成らせられたる御噂まち〳〵也、とかく今の世の宗旦流と雲ふものは心得難し、咋日芳春院へ御成にて御覧なさるヽに、又宗旦は各別のもの也、先兼て一畳だいめの囲居と御聞ななれし故、三人まではいかヾと思召て、左典厩一人お召連られたり、行て御覧あれば、三人までは楽に直らるヽ、上手なる立様なりとて、御噂〈○近衛宗熙〉の趣お左に記す、〈たとへば書院の床のうしろにて、かたはいに屋おおろして、けらばのかより入るやうによしらへたるものなり、〉
〈これも兼て聞及し、二つぎり二畳はつきくだしのものにて、のきの方より入るやうに承る、それは珍しと申上ぐ、さればとよ、脇の方にてのきひきく、勝手口あきたるときに、ひきヽ屋根うらのみえて、いとも殊勝なりと仰らる、〉
十四年二月廿六日、大徳寺竜光院へ渡御、〈旭峯、拙、○山科道安〉
待合 客殿の脇十二畳〈衣桁、硯箱料紙、東山時代、○中略〉 囲居〈四畳半に大目の畳お入たる座席なり、書院の奥なり、客殿の待合より〓づたひに行く、〉