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明良洪範続篇

台徳院様〈○徳川秀忠〉には茶道お御好み遊ばされ、小堀遠江守常に隻尺し奉る、此人の宗匠として、何事に寄らず物数〈○数下恐脱寄〉抔尹格別にて、諸人の手本と成事多し、御城中御数寄屋も遠州の差図なりし、完永年中に、御居間の脇に御学間所お建らるべし迚、遠江守に仰付られ、其造作出来し上覧有所に、一向上意に協はずして、偏に茶屋囲の如くにして軒も卑し、天井なぞも物ずき過て、手ぜまに犬様な戸事無りしかば、思召相違して、頓て作り替られ、御張付なども、皆砂子の泥引也しお、墨絵にて四季耕作の形、菓菰の類に仰付られしと也、其所仰に依て相応の物ずき有べき事也、心得有べしと其頃の人評せりし、