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南方錄

雪隠
露地雪隠は、禅林の清規百丈の法式つまびらか也、総て茶堂腰掛は、詫一偏にて、古柱古竹等も用る也、便所道具は、詫にても新敷清浄成お用る事肝要也、会の時は客雪隠の内お見る事も、禅林に便所の役お浄頭(じんちう)とて、歷々の道人和尚達のせらるゝ例多し、修行の心持有る事也、客も其心持有、又詫にも亭主は雪隠お格別に改め心お用る故、客も主の心入おしるため共雲へり、又利休の比迄は、乱世の砌故、野心の者雪隠にかくれて仇おなしたる事共有り、漢和其類あり、客の内末座に医者隠者等加りては、殊更に心お付て、上客より先に雪隠に気お付る事肝要也、暁会夜会殊更也、露地の雪隠、禅林の清規お以てする事といへども、少づヽの差別有、手桶、面盆に糠塵取帚抔品々の事共有、塵取お塵穴に仕替持する様に、少は差別有、掛り縁打様等秘事口伝、外に用お弁ずる為、常のごとくしたる雪隠あるべし、〈○中略〉
雪隠之内用意之事
客来前、疾と水お打、掃除仕舞て、其後乾き砂お手桶に取寄、山なりに立、其上に触杖おさす、路次に路の清にも乾砂お立、御幸御成の道辺にも乾砂勿論の古例なり、俄にいかやうの不浄出来べきも計がたし、其時の清めの為也、夕立抔に水たまりも有事也、根本塩湯おとり清おする本意也、雪隠の砂も不浄おおほひ清むる為也、いつとなく常住に砂お入置、又水お打掛て濡砂にする事、大成違却也、開戸水にて流して立べし、夏の夜会には開戸明置たるよしと雲説有、さしこめたる所には蚊抔多く籠り居て、うつ〳〵敷故の事なるべし、