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南方錄
拾遺一
露地の出入は、客も亭主もげたおはく事、紹鴎の定め也、草木の露ふかき所往来する故如是、互にくつの音、不功者功者おきゝしるといふに、かしかましくなきやうに、又さしあしするやうにもなく、おだやかに無心なるが功者としるべし、得心の人ならで批判しがたし、宗易好みにて、此比草履のうらにかわおあて、せきだとて当津〈○堺〉今市町にてつくらせ、露地に用られ候、此事お聞申たれば、易の雲、げたはく事、今更あしきにはあらず候へども、鴎の茶にも、易ともに三人ならで、げたお踏得たるものなしと鴎もいわれし也、今京堺奈良にかけて、数十人のすき者あれども、げたおはく功者は、僧ともに五人ならではなし、これいつもゆびお折事也、されば得道したる故は雲に不及事也、得心なき衆は、先々せきだおはきて玉はれかし、亭坊別而かしましさの物ずきなりと笑はれし、