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紳書

台子の事、織田信長、利休おめして茶お立させられしに、台子の体こと〴〵く新意お出して古制にあらず、信長其よしお尋申されしに、古制によらざる意趣逐一に其理ありければ、大に感じ給ひたり、其後豊臣太閤の時、利休おめして台子の法制お能々伝授し給ふて、其上に利休に誓紙お参らすべし、一子にも我ゆるしなくば伝ふまじとちかへとあれば、利休誓詞お奉りて、これよりのち茶会には炉お用ひしに、太閤より伝授之人々七人ありて、これお台子の七人衆と申せし也、其後織田有楽も伝授し給へと申せしに、太閤利休に仰せて伝授すべきよし也、有楽は台子の制式は利休よりの伝也、細川越中守入道三斎も七人衆のうちなれど、其家々あれば伝授は仕らざりき、見習し事は有よし市尾伊織申されし也、今織田貞置め茶式は台子おもはらとす、是則有楽伝也と、これも宗羽申しき、