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雲萍雑志

山科の隠士丿貫は、利休と茶道お争ひ、利休が媚ありて世人に諂多きことお常にいきどほり、又貴人に寵せらるゝことおいたく歎きて、つねに人にかたりけるは、利休は幼ときの心はいと厚き人なりしに、今は志薄くなりて、むかしと人物かはれり、人も二十年づゝにして志の変ずるものにや、我も四十歳よりむて自ら棄るの志気とはなれり、利休は人の盛なることまでお知て、惜かなその衰ふる所お知らざる者なり、世のうつりかはれるお、飛鳥川の淵瀬にたとへぬれども、人は替れることそれよりも疾し、かゝれば心あるものは、身お実土の堅きに置ず、世界お無物と観じて軽くわたれり、みなさやうにせよとにはあらねど、情欲限りあり、知れば身お全うし、知らざれば禍お招けり、蓮胤は蝸牛にひとしく家お洛中に曳く、我ば蟹に似て他のほれる穴に宿れり、暫しの生涯お名利のためにくるしむべきやと、いとおしくおもふといへりとぞ、丿貫世お終るの年、みづからが書たる短冊お買得て灰となし、風雅は身とともに終るとて没しぬ、無量居士と号す、