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厳有院殿御実紀附錄

茶技は室町家中葉よりはじまり、豊臣殿下の頃となりては、いとさかんになりもてゆき、軍陣騒擾の間にもこれおもて風流の雅戯とし、はては互に門戸おたて、流派おきそふに至り、茶博の徒はいふもさらなり、大名にも古田織部正重勝、小堀遠江守政一、片桐石見守貞昌など、名あるものども出来たり、大猶院殿〈○徳川家光〉にも常にこの御好おはしましければ、当代〈○徳川家綱〉もおなじくすかせ玉ひ、燕間の折からは一炉の松風に御心おすましめ、三椀の雲腴に世塵お洗はしめ玉ひき、其外三家の就封、京坂両職お餞せらるゝにも、老臣の燕見にも、これもて饗応の一途となし玉ひけり、またその頃石見守貞昌と船越伊予守永景とは、こと更陸家の風おおこし、玉川の流に遡り、年久しく茶事の宗匠として、その名一時にたかゝりしかば、完文五年霜月の頃、両人お御茶室に沼れ、其技おなさしめて御覧あり、老臣も陪席して彼等がその技に練熟せしさまお賛嘆し、公にも殊に御気色にかなひしとて、両人に饗賜ひ、物など下されしとぞ、