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桃源遺事

一水戸城神崎といふ所に、若き蒔より数寄おたしなみ、友なき時も独此業お友として年月お送る老翁有、〈桑屋三夢〉よはひ既に八旬に余れり、立居も協はざれ共、此事は尚昔に替らず、明暮玩び楽とす、西山公〈○徳川光国〉彼叟が事お聞召被及、或時宅辺お過させ絵〓迚、人おして案内せさせ給ひ、頓て御立入候、家は藁お以葺、膝お入るに不過と雲まほしき程の住居なれば、増して数寄屋といぶもの作べきかもあらねば、唯庵の内おかた計おかしくしつらひ、炉お構へり、斯狭き家也ければ、御供のもの共はみな垣の外に留りて、内へは御近臣二人のみ参りぬ、彼叟足お痛みけるが、貴人の御前にて争か無礼には坐可申と、いたく詫候お御聞付、不苦候間おり能様に坐し可申と被仰候へば、御免お蒙り、二三歳なる稚子の坐したる如にして、御茶お奉りける、茶入のこと様なるお御覧被成、名お御尋候へば、名は無御座候由答申候、其茶入のか、たのめぐりに、雲のやう成物有ければ、横雲と呼候へと被仰候、御茶過て御帰りなされ、あしや釜お彼翁に被下候、〈此段は御隠居後なり〉