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槐記
享保十二年十月十五日、参候、中井主水定覚が常修院殿〈○慈胤法親王〉への咄しに、昔し加藤越中守は、武威の天下にかくれなき者なりしが、茶の湯の沙汰はなまで聞ざりしが、或時の所望にて金森宗和へ参られしが、甚だ唱嘆にて、宗和の茶は名人と謂つべし、我所望せしは全く茶の儀にあらず、其気のびはつる所お見んと欲して也、によつと炭取お持て出られしより一礼お述ぐるまでに、すきまあらば鑓お入べしとねらいしが、気の満たる処、一毛のすきまもなくて、終に鑓お得入れずと語られしが、誠に御上手也と承り及びぬと申たりければ、常修院殿なこそあるべけれとて、大に嬉がり也、