[p.0616]
茶譜

千宗易、泉州堺の町に住居、詫の比より茶の道不解玩ぶ、然に其時代に紹鴎は茶湯者と雲て、世の人甚用て師とす、或時紹鴎は宗易住所辺お通、折節門前に水お打、掃除奇麗に嗜て住者有、紹鴎立寄て亭主の名お尋しに千奥四郎と雲、則呼出て知人に成、今朝他へ先約無之ば、此庭の槿お見て茶湯に可逢もの残念也、明朝必可参、茶お振舞玉へと約束して帰、与四郎悦、翌朝紹鴎来お待、紹鴎不違契約おして与四郎宅へ行、路地口の戸お開て見るに、前日の槿一茎も無之、紹鴎思玉ふ、近比野人なる亭主に出合、槿まで空すること残念と、腹立して可帰と思へども、立帰て座敷へ入て床の中お見れば、釣花入に槿隻一輪有、紹鴎見之、自最前の我心お恥て、庭に一本も無之は猶なり、我には幾計増与四郎と感入て、之より猶因深成と也、其後愈天下に崇敬せられ、宗易と雲しなり、又紫野大徳寺門前に菴室お造、堺より折々来て聚光院笑嶺和尚の参下に成て、利休居士お受、此菴室お不審菴と雲、四畳半お造て茶お玩ぶ、