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独語
近き世に、人のもてめそぶ茶の道こそ、いと心得ぬことなれ、〈○中略〉人に茶お飲まするには、先づかこひとて、一間なる狭き所に集らて、食ひ物も人によそはすることなく、手らもりくひ、酒も自らくみ飲みて、其器おも、手ら洗ひ拭ひて撤す、点心くひて後に、出でて口そゝぎて入る、主自ら茶お点じ客人に奉れば、一つの茶碗に点じたる茶お、上座の人少し飲みて次の人に伝ふ、三人にても、五人にても、次第に飲みて、末座の人残りなく飲みて、其茶碗お上座に授く、上座の人取りて、子細に見て珍器なることお誉めて、又次座の人に伝ふ、次座の人も子細に見て、次第に伝へて末座に至る、末座の人見おはりて主にかへし、客人一同に謝詞おいだして頓首す、次に茶碗の袋おこひ見、次に茶入お見、次に茶入の袋お見、次に茶杓おみる、見るべきほどの珍器にあらざれども、請ひてみるお礼とす、炉に炭おおくも子細ありと雲へば、主の炭おおくおば、客人さしよりて見て是おほむ、瓶に花おさせばほむ、大方何事も主のすることお見て誉めずと雲ふことなし、諂の至と雲ふべし、かこひのつくりは、伝へ聞く維摩居士が方丈の室よりも、今少しせばくして、小き窓おあけたるのみなれば、白昼にもくらく、夏は甚あつし、客人の出入る口は、狗竇の如くにて、くぐりはらばひしていれば、息こもりて冬もたへがたし、飲み食ふ物も、人、の口に好み悪む物あるに、主のいかに心づかひせりとも、口にかなはぬ物お、必のこさずくはんとするもくるし、させることもなき器お、珍らしげに誉むるもそら恥かし、又物ずきとて、家作より諸の調度に至るまで、常にかはりて珍らしくやさしきことおばすれども、茶人の家居は、必柱なども細く、障子の骨迄も、風にたへぬばかりにほそくす、或はまろくゆがみたる柱お皮ながら用ひなどして、ものずきおかしとて興ず、物食ふ折敷も、足の高きおきらひて平おしきお用ふ、すべて茶人の物ずきと雲ふは、万何事も貧くやつ〳〵しきさまお学びたる物なり、〈○中略〉我国にては、鎌倉の時、五山の禅僧異国より茶お持ち来りて弘めしが、世の人さのみもてはやすこともなかりしに、室町の公方義政、是お好み給ひ、朝暮に是お玩び、東山の慈照院の銀閣にて、茶の会しば〳〵なり、しかれども義政は天性奢侈お好み給ひし故に、茶お玩ばるゝにも、茶室より茶の具に至るまで、必堅致にて美麗なることお好み給へり、今の世の茶人の如くに非ず、東山殿の調度とて、今に伝はれるお見るべし、近き世の茶人は、利休居士お祖師とす、利休は独身の禅門にて貧賤なるが、草の庵のせまき内にて茶お楽めるお、当時の諸侯富貴の楽にあきて、利休が貧賤寒酸の楽おしたひ、大夏高堂おさけて、一間なる所おしつらひ、其内にて手づから茶お点じて、人に飲ませて楽めるなり、もと独身の禅門の、貧くやつ〳〵しき者の楽おまなびたる故に、一間の作より始めて諸の器に至るまで、皆あら〳〵しき物お用ふ、食物も美膳おきらひて淡泊なる物お好む、凡茶人のなすわざ、ことごとく貧賤なる者のまなびなり、されども富貴なる人は、貧賤なる者おまなびて楽とするもいはれあり、元より貧賤なる者、何ぞ更に貧賤のわざお学びて楽むことあらん、今の世に富貴なる人、己が好む心より、貧賤なる者お茶に請ずるは心得ぬことなり、〈○中略〉近世に茶の道お弘めし人は、利休宗旦等が外には、片桐石見守貞昌、小堀遠近守政一なり、此の人々は貴賤異なれども、皆聖賢に非らず、常の人なるに、今の茶人、必此の人々のしわざお学びて、是は利休が法、是は遠州の法、是は石州の法とて、礼法お守る如く、一向に堅く守りて少しもたがはじとす、かたはらいたきことなり、今にてもあれ、世に勢ある人茶お玩び、先輩にかはりて新きわざおし出ださんに、くみする人数多ありて、是彼にて其しわざお学びてせば、やがて一流となるべし、是茶の道に一定の法無き故なり、我〈○太宰春台〉も平生茶おたしむ故に、人の許にて美膳などくひたる後に、上品の抹茶お濃く点じて出ださるれば、口にかなひて甚快し、但それも広き座敷にて、食ひものお心にまかせてくひ、酒も人にくませてのみ、点心もよく食ひて、茶おも新しき茶碗にて、つかふるものゝ点じたるお、人々別なる茶碗にてのむはよし、今の茶の道は、きはめていとはしきわざなり、茶お貯ふるは、此方の磁器にもさるべきものあり、さもなくば棗の形なる漆器よし、銀器錫器もよし、茶お抄ふには銀の茶匙お用ふべし、茶碗はいかにも新しきお用ふる潔く快し、