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明良洪範

秀吉公伏見にて、神君〈○徳川家康〉と前田利家お誘はれ、聚楽に行て遊覧し給ふ、帰途徳川殿の館へ立寄り給ふ、聚楽にて美食の上なれば、茶のみ参らすべしとて、神君自ら壺の口お切給ひ、茶道坊主朱斎に茶お挽せ給ふに、茶減じければ、其由問せ給ふに、水野監物たべ候と申上る、神君又外の壺の口お切給ひ、又挽せ給ふ、此時加賀爪隼人申上けるは、唯今より又挽せ給ひては、遅く相成べし、初挽たる御茶お御用ひ遊ばされ然るべし、減じ候共太閤へ上らるヽには足り申べしと雲、神君仰せに、女は余が口真似おもする者なるに、是等の事に心得なきや、譬へ遅く成り、太閤御不興に思召す共、人の飲たる余りお進る道や有る、其志しにては、女奉公向も正しからじと誡め給へり、神君の律儀に御座す事斯の如し、