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常山紀談
二十
周防守重宗〈○板倉〉京都の職に有こと凡三十余年、〈○中略〉重宗職に任じて後、毎日決断所に出る時、西面の廊下にして、遥に伏拝む事有て決断所に出、此所に茶磨一つすえ置、あかり障子引たてゝ其内に座し、手づから茶ひきて訟お聞、人皆不審しあへりけるに、遥に年経て後問人有しに、重宗答て、〈○中略〉訴おわかつ事の明かならぬは、我心の事にふれて動くが故なりと思ひなしぬ、よき人は自ら動かざらんやうにこそあらめど、重宗それまでの事は及び難く、唯心の動と静なるとお試るには、茶お挽てしる、心定りて静なる時は、手もそれに応じて磨のめぐる事平かにして、きしられておつる所の茶いかにも細やかなり、茶のこまやかに落る時にいたりて、我心も動かぬと知り、其後やうやく訴おわかつ、〈○下略〉