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喫茶指掌編

天正十八年、豊臣殿下〈○秀吉〉小田原御陣中にて、御茶可被遊とて、利休へ風呂お執寄よとの仰の時、利休申上しは、御陣屋にて奈良風呂の御執合いかゞ取合可申、風炉可申付やと伺しに、勝手にせよとの仰に付て、頓て箱風呂お製し上しに依て、夫にて御茶被成しと也、
何様一通の御旅にても無、御陣中の事なれば、殿下とは作申、御平常の趣には違べし、〈○中略〉今小田原風呂と人の唱は是也、又板風炉、或は箱風炉ともいふなり、
同十五年、京北野大茶の湯御催の時、或詫人板風炉、旅箪笥などお儲なせし事有、左有ば全利休が物数寄に出しには不有とみえたり、〈○中略〉
天正十五年にして其紋摸は開つれども、人敢て唱ず、利休其寸法お考正て、小田原にて出しだるなど様の事か、旅箪笥も斯様にや有けん、〈○中略〉板風呂は宗旦好、亦は庸軒など雲は誤也、