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茶伝集
十二
一阿弥陀堂なりの釜二つ、三斎公〈江○細川〉持参入御覧候、口の広き釜如何にも阿弥陀堂なり、少も惡敷所なしと被仰候、夫に付御噺有、利休に口の狭き阿弥陀堂形の釜為見候へば、惡敷由に申す、此釜は目きゝ候而、茶の道不功者の者の好候釜と存候、大方瀬田掃部鋳させたるべきと申、如何にも掃部が鋳させ候釜也、如何して掃部望たると被申やと御尋候へば、利休申は、掃部は目は利候へども、茶の道は不鍛錬なり、此釜は此の如く形能候へども口広過候、今少口しまり候はゞ猶能候半物おと申所にて、数寄道具になり申候、茶の湯の道は十分の物はうまきとて嫌ひ申候、一二け所も頑所有物よく候、掃部鋳させ候釜は、頑所なく口も能程なり、十分したるもの故、茶の湯の釜にはならずと申候、十分したるものは、御道具と雲て数寄には不用、代も高く仕事也、茶の湯道具は頑所ある故、代不仕候、されども人々の見立にて高くも仕候、たゞもいやと申も数寄道具にて候由、利休申たると仰なり、