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槐記
享保十年霜月十日、昼、深諦院殿御茶に召さる、〈○中略〉釜 〈挑灯釜〉 〈これは常修院宮(慈胤法親王)御所持新作、三菩提院宮(貞敬法親王)へ進ぜられ、今此御所にある由なり、〉
十二年五月十八日、深諦院殿、〈拙○山科道安〉御茶下さる、〈○中略〉御釜〈くりん釜、是は深帥諦吐眄には覚おれずや、先年無量光院よりもらいし釜なりと仰也、なるほど覚奉りしやう也、今少し長け高かりしやうに覚侍ると申上らる、なるほど好おぼへ也、常修院殿へ見せしに、下にて三寸切て、底お入さヽれしなり、〉
十三年十月十日、参候、先日深諦院の問はれしに答へし、炉の釜お風炉にかけ、風炉の釜お炉に下すことは、苦しからぬことにやと、常修院殿の常に仰られし、風炉の釜お自在にても、くさりにても、炉へおろすこと是常の習也、炉の釜は、護に風炉にあぐべからずとのこと也、雲竜ばかりは、風炉も又格別にありて風炉物也、今の世は炉の大釜おふりなく風炉にかくるほどに、大火にあらざれば煮ることなし、何と謂ことぞや、