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槐記
享保十四年正月七日、御茶湯初め参候、〈二三、拙、○山科道安、中略、〉御釜〈(図略)此釜には由来ある由仰らる(近衛家熙)旧此釜の蓋、ことの外に奮きものヽ上作もの也、これお宗和が所持にて、此蓋にて釜おいさせだし、如何やうの形ちしかるべから氷やとて、名ある弟子衆におヽせて、切形おさせおれしが、いづれも蓋の形が八角なるに付て、釜にもその意おとりてせられしお、宗和の物ずきにて、なにとしても、八角とさしあうは悪かおんとて、何ともしれぬ形の、終になき形にせられたり、環付も形のしれぬものにせられたるが、宗和の好也と、いかい秘蔵にてありしお、寺田無禅にやおれて、無禅より御所へ上おれしと也、此蓋は殊の外名高きもの也、其頃細川に八卦の蓋、金森には八角の蓋とて、天下にたれしおぬものなかりしと也、〉