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大海のはし
明暦のみかど、〈後西院〉茶の湯の数寄せさせ給ひけるに、井戸といふ茶碗おえさせ給ひて、二なくひめさせ給ふ、ある時は、うへの人びとに御茶おたまはせけるに、勧修寺の入道大納言〈経広、法名紹光、貞享五年薨、〉参られける時、此井戸にて御茶給ひけるに、入道井戸の茶碗と申すものこそ名には承りていまだ見ず候へ、給はりて互々見侍らばやと奏せられければ給はりけり、入道茶わんお持ちて、かうらんにのぞきつゝ見給ふほどに、とり落して御前栽のよしある岩のかどにあたりてくだけにけり、帝いみじうおしませ給ふ御気色なれば、うちかしこまりて、まことはあやまちてとり落し候ひつれど、よくこそつかふまつりて候へ、井戸の茶碗は古きものにて、其かみいくらの人の手にふれけんもしらねば、けがらはしきえせ物にてぞ侍る、おほやけの御調度となさせ給ふべきものにも候はねば、くだけうせぬるこそ、まことにめでたく候へとて、まかり出でられけり、帝も然ることゝや思しめしけん、御気色なほらせ給ひけり、