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茶道筌蹄

茶入之部
唐物 往古は唐物のみお用ゆ、其内茄子お上品とす、肩衝(かたつき)、文林、是に次ぐ、此三品お盆点に用ゆ、其後品少く成し故、丸肩衝まで用ゆ、肩衝(かたつき) 名物記出たるは三十余もあり、南部松屋肩衝は〈伝来書別に有〉世に名高し、拝見も難からざれば、かならず見るべきことなり、其外高貴の方々に蔵め玉ふ品は拝見する事難し、
茄子 むかしより賞玩格別なり つくも 似 松本 円坐 出雲 小茄子 富士 紹珍
北野 国司 是等茄子の名物なり、尻張と茄子と形混じ易し、肩の九きは茄子、肩のつきたるは尻張なり、
文林 博多 桃 玉垣 鳥井 笘屋 葉室 本能寺 丸屋 是等文林の名物なり
名物唐物の茶入数多くありといへども、大方は右の三品なり、
文茄 名物記に、小出伊勢守殿御所持ぶんなとあり、
丸壺 利休 金森 立花 寺沢
尻張 大尻張 利休尻張
大海 内海 鶴首 柿 達摩 紺羅 物相〈利休所持也〉
木葉猿 利休百会に用ひられし茶入なり、〈高さ一寸八分、胴二寸、口八分四厘、底一寸、〉 右木葉猿は、箱の裏に木葉猿の蒔絵有、仙台侯御所蔵なり、
広口 飯銅 瓶子 樽 耳付 累坐 瓢蕈 上杉〈紀州御物〉 角木 驢蹄 常陸帯 鮟鱇 胴高油滴 水滴 手瓶 弦付
東呉〈地名なり〉 西呉〈同〉 呂宋 島物〈地名の分りがたきおいふなり〉
同和物之部
古瀬戸 藤四郎入唐前お古瀬戸といふ、口兀(はげ)、厚手、堀出し手、此三品に限る、皆瓶子なり、〈○中略〉
小瀬戸 是は大窯(かま)の手、小窯の手と雲事なり、
藤四郎入唐後お唐物といふ説あれども甚疑はし、春慶 春慶は、藤四郎入道しての名なり、〈○中略〉
真中古 二代目藤四郎〈丸糸切 本糸切○中略〉
金花山 三代目藤四郎、中古物と雲、〈丸糸切 本糸切○中略〉
破風(はふ)窯 四代目藤四郎、〈本糸切 丸糸切〉薬溜り破風(はふ)に成る、〈○中略〉
後窯〈丸糸切 本糸切〉四代目藤四郎より後お後窯といふ〈○中略〉
同塗物の茶器
真中次 利休形、さし渡し二寸二分、高さ二寸二分、小は一寸八分、藤重作お上作とす、藤重作は竹の木地なり、外は皆檜木地なり、
棗 紹鴎形〈大中小〉 当時は紹鴎形お写す〈○中略〉
盛阿弥〈大〉 此作に至て大なる棗あり、夫お盛阿弥形と雲、
利休形〈大中小〉 当時写し来る形なり
菊の蒔絵〈大中〉 桐の蒔絵〈大中〉 菊十六葉の内に桔梗あり、菊の大と桐の中とは利休居士、正親町帝へ進献の形なり、菊の中と桐の大とは、江岑の補といひ伝ふれども不分明なり、通じて利休形といふ、
目張柳〈芽張柳ならん〉 織部好、本歌は中也、紀州御茶道中野笑仙所持なり、
元伯好の菊〈大〉 十一葉の内 如此あり、東福門院へ献上の棗なり、〈大計なり〉白山氏所持、
溜〈大中小〉 大小は桜の木地、中は松の木地なり、内黒何れも元伯好なり、
鷲 盛阿弥の作、自然に少し形の替りたるお利休鷲と銘す、〈一つかみといふ意か〉小棗にして尻すぼらず、山中氏所持也、此棗に似たる大棗お元伯回首といふ銘お付る、回首は鷲の異名なり、此棗浪花海部屋善二所持なりしが、大火の節焼失す、又大棗お仙叟撫子と号く、これも鷲の異名也、鷲の子お愛するによせて名付しなり、夫ゆへ鷲に似たる回首、回首に似たる撫子といふ、此撫子は山中善作所持なり、
尻張 利休形、黒の中に限るなり、
平 大中とも利休形、大の方たえたるお、近来啐啄斎再興す、
白粉解〈中〉 利休形、三宅亡羊所持、中計なり、当時は浪花山家屋権兵衛所持なり、
一服入 利休形なり
茶合〈小〉 仙叟好、茶入にうはき蓋あるなり、
河太郎 仙叟好、大計なり、甲にくぼみ有、覚々斎好、大小有、
梅絵〈中〉 春慶内黒、甲に黒にて捻梅三つあり、松の木地、了々斎好なり、
一閑折溜 啐啄斎好、後藤玄乗作、後に完政年中、中川浄益、袋師友吉取立に、梅寒菊の歌お書て、数三十、一閑に造らしむ、
不識 了々斎好、一閑取立に数二十五製す、外溜、内黒、甲に墨にて不識とあり、くり上に判有、
金輪寺〈蔦大中〉 木地蔦、外溜、内黒、大は濃茶器、中は啐啄斎薄茶器に用ゆ、元来は吉野山にて、後醍醐帝一字金輪の法お修せられしとき、僧衆へ茶お給ふ、其とき山にある蔦お以て茶器お作る、故に金輪寺茶器と雲、修法所お金輪寺といひしとぞ、今の蔵王堂の側の実城寺是なり、〈乾に当る也〉三代宗哲の写しは、京寺町大雲院の摸形なるよし、大雲院は織田信忠公の菩提所なり、此茶器信長公伝来七種の一つなり、底に廿一之内とあり、朱の盆添ふ、
同松の木 原叟好、老松の茶器と同製数五つ、外溜、内黒、後に如心斎金輪寺と、一閑作の割蓋棗の大とお数五十製して、覚々斎好の内と有、
伺一閑作〈中〉 元伯好、内外黒、本歌は浪花海部屋に所持なり、如心斎金さらさの袋お好む、老松割蓋 妙喜庵の老松お以て、原叟数五十お造る、箱の蓋の裏に、茶器の記あり、祇南海の作と雲、記に曰、
山崎妙喜禅庵茶亭之傍有老松、枯成榾柮、揃之以作茶湯珍器、聊伝遣愛於千歳而已、覚々判あり、
木地左近の作〈○中略〉
同薄茶器
茶桶 大小とも黒は利休形、溜は元伯好、同挽溜〈大一対〉 利休形、千家所持は元伯書付、極詰と表にあり、蓋裏に判有、如心斎写し、数五十、宗哲箱二つ入、
雪吹(ふヾき) 大小とも黒は利休形、溜は元伯好、金のひなたにて菊桐お甲に書たるは、大小とも原叟好、跡先分ち難き故雪吹といふとそ、菊桐大小箱入、浪花紣善所持なり、
面中次 黒は利休形、溜は元伯好、何れも中計なり、ため中次に元伯詩お書たるお則詩中次と、原叟写しあり、如心斎又数五十お製す、
薬器 利休形なり、仙叟好は蓋河太郎両様とも黒也、
頭切 如心斎好、黒松の木地、すり漆、黒にて桐お書たるは了々斎好なり、
南瓜(あこだ) 山中宗有遺愛の桜の木お以て、其子宗智、天然に茶器の好お頼みしに、如心斎夢中にあこだ瓜の形お得て此器お好む、細工成就せざる内に天然は卒す、故に天然の書付はなし、身は内黒、外溜、蓋は木地なり、
蔦 元伯好、内黒、甲すり漆、其余は木地、本歌は三井所持、
一閑張竹 折だめ 如心斎好、竹は蓋の見返しに判あり、折だめは底に判あり、竹おほうしといひ、折だめおかつらと雲、今にては竹の茶器、折だめの茶器といふ、