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茶窻間話
上二
滝川左近将監一益が臣津田小平次は、先手の隊長おうけたまはり、武功無双の士なり、後隠遁して幸庵と称す、かねて老後のたのしみにとて、家に秘蔵したる茶具三種あり、所謂中山の茶入、紀三井寺の茶碗、黒木のかけものなり、此内中山の茶入といふは、細川幽斎法印の御遺愛なりしが、故ありて幸庵の所持となれり、其比京に住て、茶事のみにてくらしける、或時細川三斎お請待せしに、三斎には日比此中山おふたゝび家にかへし度思ひ給ひしかども、幸庵拝領の道具ゆえ、率爾に申出しがたかりしに、此日何とぞ中山お一目見せ給れとあるじに請て出させ、さてあるじ勝手へ入し間に取て袂へ入れ、相伴の人へは、いのちなりけり佐夜の中山と伝へよとのたまひて、暇乞もなくかへり給ひけり、幸庵立出て是お聞て、年たけてまたこゆべしとはおもはねど、出しぬかれたりとて笑ひになりし、翌日きのふの茶の礼とて使者あり、時服樽肴黄金弐百枚贈られけり、幸庵が家の者ども、此黄金納め置れん事いかゞといひしに、我苦しからざる趣向ありとて、厚く謝して、即其黄金もて、北野に一寺お建立して、祖先一家の菩提所とせられし、