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茶話指月集

雲山といへる肩衝、堺の人所持たるが、利休など招きて、はじめて茶湯に出したれば、休一向気にいらぬ体也、亭主客帰りて後、当世休が気にいらぬ茶入おもしろからずとて、五徳に擲ち破けるお、傍に有ける知音の人もらうて帰り、手づから継て茶会お催し、ふたゝび休に見せたれば、是でこそ茶入見事なれとて、ことの外称美す、よて此趣〈き〉もとの持主方へいひやり、茶入秘蔵せられよとて戻しぬ、その後件の肩衝、丹後〈の〉大守価千金に御求候て、むかしの継目ところどころ合ざりけるお、継なおし候はんやと、小堀遠州へ相談候へば、遠州此肩衝破〈れ〉候て、つぎめも合ぬにてこそ、利休もおもしろがり、名高くも聞え侍れ、かやうの物は、そのまゝにて置がよく候と申されき、
附 古織〈○古田織部正〉全き茶椀はぬるき物とて、わざと欠て用られしことあり、よからぬものずきといふ人もあれど、此茶入われて後、利休却て称美し、遠州公もかくの給ふにて、茶道の風流、別に有ことゝ知べし、頃(このごろ)の茶湯人の心たけたるにや、多くは古風おしたひ物数奇も今やうの類にあらず、さるにより、破〈れ〉たる茶器、損じぬる書画、ふりたるまゝにてめで侍ることになりぬ、