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老人雑話

茶入高直に成たるも近来の事也、老人〈○江村専斎〉少年の頃は、世上おしなべて名物と雲は、玉堂と雲茶入と、利休が円座肩衝と計也、これも何程と雲ことなく、無類の名物の様に雲也、其後相国寺にありし、名おも相国寺と雲、唐の肩衝お、古田織部黄金拾一枚に求む、是高直の初なり、程もなく加賀へ千五百貫に売、是は織部治部と間悪き故、勘定おせつかれて、勘定の為に売られし也、道哲親円浄坊取次て代金お持来りし時、老人織部方に居合せたり、黄金六十放と蓮華王の茶壺一つ持来る、壺は此方より所望の由なり、円座肩衝は、今江戸に有しが、丁酉〈○明暦三年〉の火事に焼失すとぞ、日野肩衝は、日野唯心大文字屋にうり給ふ時、老人お呼て、此茶入黄金五十枚にうるべき約束す、少味悪き事あるほどに五十貫おとして、四十五枚になりとも美作殿などに御取あらば遣したき事なり、自分に袖に入、持往見せよとの給ふ、見せけれども代物調かねたるに因て首尾せず、遂に大文字屋が手に落つ、