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明良洪範続篇

完文の頃、有馬玄蕃頭頼利、未だ若年故、親族西尾主水忠知後見なせり、或夏虫干の節、彼家の重器たる胴脂肩衝と雲茶器お、外様の士へ見する迚、取落して少し欠損じける故、彼士は大に恐れ入、必死に思ひ極めて籠居せり、主人は在国故、此事早々申遣す、頼利には十六七才の時なれども申さ声ヽは、重売お卒爾に疵付る様に取扱ふ事は、第一預り置役人の失なり、去ながら士と器物とは替難し、但し此肩衝は我家にて大切の品なれば、其儘隠し置難し、一応忠知へ申聞て、彼が了簡お伺ひ、何れにも指図に任せ、取計ふべしと下知せらる、右の趣家来より主水忠知方へ申達しけるに、先其茶入お損じたる者おば如何せしと問はれしに、家老共恐入て、彼者は早々閉門申付置し由お答ふ、忠知歎息致され、各には大家の仕置役とは存ぜず、茶器お割たるは不届なれど、主人の馬前にて命にも代る士也、茶器は唯座敷の慰にて武用には立ず、右の器は神君〈○徳川家康〉より元祖法印〈○有馬則頼〉拝領せられし名器にて、外の道具より大切に心得らるヽは猶なれども、士には易へがたし、已に頼利若輩の了簡にも、土器に士は替難しと申越されたれば、早々差免さるべし、右の茶入は仮令微塵に成ても有馬家にさへ有ば名物也、外人の持て詮なし、又上より預け置れし品なれば層も入べし、此器は神君上方に御坐の時、秀吉公より関東へ御帰国の御暇出かねし故、法印へ御頼にて御前お早々御暇出し故、悦び思召との御事にて拝領有し名器なりとぞ、